日本の組紐は、宗教・儀礼・芸能・服飾・調度などの諸分野と深く関わり、時代にそくして新たな用途を生み出し、それに合わせて技術やデザインを開発してきました。
本格的な組紐の展開は、大陸の文化を導入した飛鳥・奈良時代から始まります。
飛鳥・奈良時代
天平の地に伝わった始まりの生命力
大陸から伝来した組紐が日本に根付いたと考えられるのは奈良時代です。奈良組、笹浪組(ささなみぐみ)、唐組(からくみ)、そして安田組(あんだぐみ)などの組紐が、奈良の正倉院および法隆寺に残っています。この時代の組紐は、大胆さの中におおらかな色合いが見て取れることが特徴です。
平安時代
そそぎこまれる日本の技と優美
奈良時代が基本的な組み方を楽しんだ時代であるのに対して、より多彩な表現を追及した時代が平安時代です。
それまでの複数の技法を合成して新しい組紐を作り出し、また段染めの技術を開発したのもこの時代です。用途としては貴族が大刀を下げるために用いた平緒(ひらお)、武具の紐、経巻の紐、経巻絵巻物の紐、お守りを首から吊るすための紐などがあげられます。
鎌倉・室町時代
より深く,より複雑に 創造力への挑戦
平安時代に研究されてきた組紐の技術を用いて、様々な新しい組紐を創造していくのが鎌倉時代です。
この時代に誕生した代表的な組紐として亀甲組(きっこうぐみ)が上げられます。鎧の紐としてさかんに用いられました。また、西大寺組(さいだいじぐみ)、知恩院組(ちおんいんぐみ)などの紐が、仏像の体内に納められており、現存しています。
室町時代には新たな組方は考案されなかったようですが、鎌倉時代からの高い技術は継承されました。
江戸時代
近代人のものづくり いにしえの再生と革新
特筆すべき点は、組紐の主たる用途として下緒(さげお)が挙げられることです。これは、刀に付帯する紐で、今日の帯締とほぼ同じ寸法に仕上げられています。そのため、江戸時代以前の様々な形状の組紐を、下緒に適する形状に変換すること、また新たに組紐を創作することが行われました。
江戸時代に創作された組方に貝ノ口組(かいのくちぐみ)、高麗組(こうらいぐみ)、地内記組(じないきぐみ)などがあります。
また、綾出(あやだし)の技法もこの時代に生まれました。これは、組紐の上に文様や文字を出す技法です。江戸の粋の文化とあいまって、様々な文様が作られたことが、当時の文献からわかります。
明治以降
現代への転換 途絶えぬ技術と歴史
江戸期まで組紐製品の大半を占めていた下緒や束糸の需要が、明治維新後の廃刀令とともに唐突になくなりました。仕事の大半を失った組紐商たちは当時徐々に主流になりつつあった、女性の着物の帯の保持を目的とした帯締に活路を見出します。明治期を通して女性の和服の御太鼓結びが確立し、組紐による帯締は和装に無くてはならないものとなり、帯締が組紐製品の大多数を占めるようになりました。